映画『巴里のアメリカ人』のあらすじと感想


劇団四季で『パリのアメリカ人』をやると知ってから、「まずは映画を観て予習しておこう」とレンタルビデオショップへ急いだ。
何の事前知識もなしに借りた作品だったが、なかなかのインパクトを残していったので、紹介しようと思う。
Contents:
映画『巴里のアメリカ人(1951)』の紹介
- オススメ度:★★★
- ジャンル:恋愛
- Amazon Prime Video
:プライム会員登録で観放題(2020.4.17 現在)
- 製作:1951年
戦後、アメリカに戻らずフランスに残り、画家として名を挙げようと日々を送っていたジェリー。
同じアパートには似たような生活をしている作曲家のアダムがいた。
楽天的なジェリーと皮肉屋のアダム。そんな正反対の2人だったが仲は良く、一緒に歌い、夢を語らっていた。
彼らがよく出向くカフェにはアダムの知り合いのフランス人歌手のアンリも顔を出していた。アンリは名声も実力もあり、近々恋人に結婚を申し込むという。
ある日、いつものようにジェリーが道端で絵を売っていると、富豪の佇まいをしたマイロという女性が現れ「ジェリーには才能がある、スポンサーになりたい」と申し出る。
その夜、酒場でマイロと会合をしたジェリーだが、そこで見掛けたフランス人女性に一目惚れしてしまい、マイロとの会話は上の空。彼女がどこの誰だか知りたく、声をかけたり追い回したり…それをどこか不甲斐なさげに見つめるマイロ。
その時のジェリーはまだ知らなかった。
マイロがジェリーに近づいた理由が、彼の才能だけではないということを。そして、一目惚れをしてしまった彼女こそがアンリの恋人だということも。
感想
映画、ミュージカル、ラブストーリーというよりも前に「アート」。
ミュージカルが映画化される場合、舞台要素はほぼ排除され、より映画的に、より現実的になるのが常だと思います。
しかし、この作品そうではありませんでした。
「映画に舞台を感じる」という、とても不思議な印象を受けたのです。
…といっても、そもそも舞台の方が後に出来た作品で、舞台も観たことがなかったのでこのような表現はおかしいかもしれませんが、とにかく「映画に舞台を感じた」のです。
映画最後の約20分。
ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」がフルで演奏される中、現実とも非現実とも言い難いシーンひたすら続きます。
ジェリーが描いてきた絵の中に飛び込んだようなセット。
幻想的な踊りの数々。
ジェリーが言葉には出来ないものの全てがこの20分に詰め込まれており、それが実に素晴らしかった。
私はこの20分がなければ、この作品をさして面白いと思わなかったかもしれませんが、映画というより舞台要素の強い部分があったからこそ、良い意味でこの作品を引きずっています。
そして何よりもガーシュウィンの音楽が素晴らしい。
ガーシュウィンの楽曲「パリのアメリカ人」をベースに作られたのがこの作品ということもあって、音楽が作品を占める割合と比重が大きかったです。
映画はもちろん、オーケストラとしてこの音楽を聴いてみたいという気持ちが大きくなりました。そしてこの映画がどのように舞台化されるかも大いに期待しています。