『ヘアスプレー』のコーニー・コリンズ・ショーは実在した!

あきかん

こんにちは!

ミュージカル考察ブロガー、あきかん(@performingart2)です。

東宝ミュージカル『ヘアスプレー(Hairspray)』より “The Nicest Kids In Town” の英語歌詞を見てみると、トレイシーとペニーの大好きなテレビ番組は「コーニー・コリンズ・ショー」だと分かります。

白人と黒人が共演できない番組でしたが、物語の最後には共演できるようになるという点が印象的です。

そんな「コーニー・コリンズ・ショー」ですが、実在したテレビ番組が元になっていたってご存知でしたか?

「コーニー・コリンズ・ショー」は、ボルチモアに実在した「バディ・ディーン・ショー」がモデルになっています。

現実は厳しく、司会のバディ・ディーンの反対により、白人と黒人が共演することなく番組は終了となりました。

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ボルチモアの学生が大好きな「コーニー・コリンズ・ショー」

 

ボルチモアの学生だけでなく、私達も大好きなコーニー・コリンズ・ショー。

ドラムロールに始まるテンポの良い曲で、思わず踊りだしたくなってしまいますよね。

コーニー・コリンズ・ショーは “The Nicest Kids In Town” の冒頭で、こんな風に説明されています。

 

Hey there, Teenage Baltimore!
Don’t change that channel!
‘Cause it’s time for the Corny
Collins Show! Brought to you by
Ultra Clutch Hairspray!

―ブロードウェイミュージカル “Hairspray” より “The Nicest Kids In Town” (作詞:Scott Wittman and Marc Shaiman)

 

出だしの台詞は次のような内容なので、ヘアスプレー会社がスポンサーに付いている番組だと分かります。

 

  • やぁ、ボルチモア・ティーンエイジャー のみんな
  • チャンネルを変えないで
  • だって、これからコーニー・コリンズ・ショーの時間だよ
  • この番組は「超強力ヘアスプレー(Ultra Clutch Hairspray)」がお送りします

 

スポンサーがヘアスプレー会社の理由については、次の記事で説明していますよ。

 

モデルとなったのは “The Buddy Deane Show” だった!

 

この人気番組「コーニー・コリンズ・ショー」ですが、調べてみると実在したテレビ番組がモデルになっているということが分かりました!

その名は「ザ・バディ・ディーン・ショー(The Buddy Deane Show)」。

「コーニー・コリンズ・ショー」は、オーディションに受かった学生が、最新のダンスステップを紹介していくもので、ボルチモアの同世代にとっては注目の的となる番組です。

白人のみで構成されていた番組で「ニグロ・デー(黒人の日/アフリカ系のダンスを黒人が紹介する日)」は月1日でした。

「バディ・ディーン・ショー」はどうだったのでしょうか?

 

The Buddy Deane Show was a teen dance television show, created by Zvi Shoubin, hosted by Winston “Buddy” Deane (1924-2003), and aired on WJZ-TV in Baltimore, Maryland from 1957 until 1964. It was similar to Philadelphia’s American Bandstand. The Buddy Deane Show was taken off the air because home station WJZ-TV was unable to integrate black and white dancers.

The Buddy Deane Show(wikipedia)

 

要約すると、次のようなことが書かれています。

 

  • 「バディ・ディーン・ショー」はウィンストン・ディーン司会のダンス番組で、メリーランド州のボルチモアにあるWJZテレビ局で1957~1964まで放送されていた。
  • フィラデルフィアの「アメリカン・バンドスタンド」という番組に似ているものであった。
  • WJZテレビ局として、黒人と白人のダンサーの合同出演が不可能だったため、バディ・ディーン・ショーの放送は終了した。

 

ボルチモアに実在したテレビ局のテレビ番組がモデルになっていたとは驚きです。

そして、現実は「コーニー・コリンズ・ショー」とは逆の結末ですね。

モデルとなった番組が廃止になってしまったからこそ、ミュージカルでは黒人と白人の合同出演を実現させたのかもしれません。これが未来だ…と言わんばかりに。(映画ではコーニーがヴェルマに向かって “This is the future.” と言い放っていた。カッコイイ…)

ちなみに現実は「WJZテレビ局」ですが、映画では「WYZTテレビ局」となっていて、テレビ局の名前も寄せていると分かります。

 

“The Buddy Deane Show” はどんなテレビ番組だった?

 

では「バディ・ディーン・ショー」がどんなテレビ番組だったのかを具体的にみていきましょう。

 

Deane’s dance party television show debuted in 1957 and was, for a time, the most popular local show in the United States. It aired for two and a half hours a day, six days a week. Teenagers who appeared on the show every day were known as “The Committee”.

The Buddy Deane Show(wikipedia)

 

このような番組だったようです。

 

  • 1957年に開始し、アメリカで最も人気のある番組だった。
  • 1日に2時間半、週6日の放送だった。
  • 番組に出演しているティーンエージャーは”The Committee(委員)”と呼ばれた。

 

番組構成自体は、ほぼ「コーニー・コリンズ・ショー」と同じですね。

番組の映像がyoutubeにアップされていたので観てみましょう。「コーニー・コリンズ・ショー」と比較すると出演者が多く、大人っぽい印象がありますね。

 

黒人は出られなかった “The Buddy Deane Show”

 

「コーニー・コリンズ・ショー」の結末は、差別なく黒人も白人も出演できることになりましたが、「バディ・ディーン・ショー」はそれが認められていませんでした。

 

Although WJZ-TV, owned by Westinghouse Broadcasting (now CBS), was an ABC affiliate, the station “blacked out” the network broadcast of American Bandstand in Baltimore and broadcast the Deane program instead, reportedly because Bandstand showed black teenagers dancing on the show (although black and white teenagers were not allowed to dance together until the show was moved to California in 1964). The Deane program set aside every other Friday for a show featuring only black teenagers. For the rest of the time, the show’s participants were all white.

The Buddy Deane Show(wikipedia)

 

「バディ・ディーン・ショー」と同じく有名な番組であった「アメリカン・バンドスタンド」が黒人のティーンエージ・ダンサーを起用し始めると、ボルチモアでは「アメリカン・バンドスタンド」の放送はされず「バディ・ディーン・ショー」のみが放送されたそうです。

しかし、世の中の人種差別撤廃の声から「バディ・ディーン・ショー」も一時は金曜日に黒人のみが出演する日を設けていたようですね。

この点も「コーニー・コリンズ・ショー」で忠実に再現されていて「ニグロ・デー(黒人の日)」が設けられています。「バディ・ディーン・ショー」でも同じ呼び名でした。

ちなみに、 “negro(ニグロ)” は差別用語です。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。

 

 

 

次の動画では、Melva Scruggsというボルチモア出身の女性が、当時自身が学生だった時にディーンに手紙を書き、人種関係なくテレビに出られるようにして欲しいと嘆願した過去について語っています。

それが当時実現されることはありませんでしたが、50年後にミュージカル『ヘアスプレー』のオーディションが行われると知って、自身の経験を制作側に伝えたそうですよ。

こういった生の声が、コミカルなミュージカルでありながらも芯のあるミュージカルに仕上がっている理由なのかもしれませんね。

 

The Nicest Kids In Town” の、他の記事はこちらから。

あきかん

それでは皆さん、良い観劇ライフを…

以上、あきかん(@performingart2)でした!

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