劇団四季ミュージカル『ウィキッド(WICKED)』の舞台って、本当に独特なデザインですよね。
初鑑賞した時は、作品の内容よりもセットや衣装に魅了されたことをよく覚えています。
全体的に魔法がかった雰囲気の舞台セットは、どこか機械的でもありますが、何故このようなデザインになっているか考えたことはありますか?
機械的とは、まさに舞台全体が「時計」を模したデザインであるということに直結します。
実はこれ、舞台上に掲げられた大きなドラゴンも含めて、原作に登場する「ドラゴン時計」をイメージしてデザインされています。
ミュージカル内では触れられていませんが、原作『ウィキッド~誰も知らない、もう一つのオズの物語~』を読むとその存在が明らかになってきますよ。
ドラゴン時計とは?
エルファバの父親との関係
まず、ドラゴン時計はエルファバの父親と関係があります。
父親のフレックスはユニオン教という宗教の牧師で、真面目で誠実な人間でした。そんな彼の一家が住む村に「ドラゴン時計がやってくる」というところから物語は始まります。
そもそも原作のドラゴン時計とはエルファバが生まれる頃、その村にはびこったいかがわしい宗教の象徴となる建物でした。
比較するなら、こうです。
- キリスト教 … 教会
- イスラム教 … モスク
- 仏教 … 寺
- 神道 … 神社
- 『ウィキッド』内の謎の宗教 … ドラゴン時計
建物といっても台車に乗っている移動式の見世物小屋で、その小さな劇場でからくり人形を操りながら人々の信仰を集めるための寸劇を行うという作りになっていました。
ですから「時計」というよりは、ドラゴンがあしらわれた見世物小屋のイメージです。
ドラゴン時計は台車に乗っていて、その高さはキリンほどもあります。四方に額縁状の舞台やアルコープが打ちつけてあるだけで、それ以上の支えもなく、今にも倒れそうな見世物小屋にすぎません。平たい屋根の部分に時計仕掛けのドラゴンが乗っています。緑色に塗った革で作られており、銀色の爪をもち、目には赤いルビーがはめ込まれている、ただの作りものです。革には銅や青銅や鉄でできたうろこが無数に重ねられ、折り重なったうろこは伸縮自在で、その下にぜんまい仕掛けで動く骨格が組み込まれています。ドラゴンは台座で上でとぐろを巻き、革でできた小さな翼を動かしたかと思うと(この翼が動くとヒューヒューとふいごのような音が出ます)、硫黄のような悪臭を放つオレンジ色の火の玉を吐き出します。
-ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語(上)(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.19-20)
ドラゴン時計が村人の興味関心をかっていると知ったフレックスは、ユニオン教に改宗させるためにドラゴン時計まで出向きました。
西洋におけるドラゴンのイメージは「悪」ですから、このぜんまい仕掛けの建物にドラゴンが乗っているというだけで不謹慎さが漂います。
また、ここで行われる寸劇というのがまた想像を絶するいかがわしさ、卑猥さなのでなおさらです。
エルファバの母親との関係
次に、エルファバの母親・メリーナとの関係性です。
フレックスはメリーナに心配をかけたくないという理由から、ドラゴン時計へ出向く時、行き先を伝えずに出かけます。しかし、この時彼女はエルファバを身ごもっていて臨月でした。
フレックスがドラゴン時計での上演をやめさせようとすると、村人の怒りを買い、激昂した男たちがフレックスの家へ向かってしまいます。
その頃産気づいたメリーナは、このままでは危険が及ぶと判断した産婆たちによって外に出されますが、その時目に留まったのがドラゴン時計でした。
雨の中、出産できる場所はここしかなく、エルファバはドラゴン時計で生まれることになります。
エルファバとの関係
悪。卑猥。宗教。謎の小屋。
こんな場所で自分が生まれたとは、生涯知らないエルファバですが、小説の最後の方、つまり大人になったエルファバがドラゴン時計に一度だけ出会う場面があります。
その時上演されたのは、エルファバの半生とも捉えられる3本立ての寸劇でした。
- 第一幕:聖なるものの誕生
- 第二幕:邪悪なるものの誕生
- 第三幕:聖と邪の結婚
これによりエルファバは自身の半生を振り返ることになるのです。
原作の感想は別記事で書きますが、ミュージカル『ウィキッド』とはまるで趣向の異なる作品です。
ミュージカルの元になっているとは思えないほど、不可解で不愉快で不可思議な作品でしたよ。
ドラゴン時計の影響力
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これだけ読んでもお分かりいただける通り、ドラゴン時計はエルファバと非常に強い結びつきがあると分かります。
エルファバは生涯を通して自分の人生は誰かに操られているという感覚を持ちながら生きることになるのですが、そう生きることになったのはドラゴン時計のせいなのかもしれません。
自分がこう考えるのはそう定められているからだ、自分がこう行動するのはそう運命づけられているからだ…と、半ば洗脳、妄想、呪縛のような感覚を持って生き続けるエルファバ。
そして家族というものに対しても、強い束縛を感じながら生きる彼女。
そんなエルファバの姿を見続けるのは非常に辛かったのですが、もしかしたらドラゴン時計の不思議な力にかかってしまったのは村人や両親でもなく、エルファバだったのかもしれませんね。
時計仕掛けと竜巻
ちなみに『オズの魔法使い』に登場する竜巻とドラゴン時計が関係する表現が、原作にはいくつか登場するのでご紹介します。
ドロシーはエルファバ達の世界に竜巻に乗ってやってきたのですが、「竜巻」という存在をこの世界の人たちは知りませんでした。
そこで、各々が次のように竜巻を解釈したんですね。
チクタクものに目がない快楽主義者いわく、「あれは、時計仕掛けの機会がぜんまいを巻き戻しながら、すさまじい速度で駆け下りてきた音さ。それによって、復讐の念に満ちたエネルギーを解放したんだ」
-ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語(下)(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.188)
迷信深い者いわく、「あれは時間が崩壊したのに決まっておる。世界中の害悪が染み出てほの暗いエネルギーのかたまりとなり、一撃のもとにこの世界の息の根をとめようとしたんじゃ」
-ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語(下)(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.188)
こううそぶいた者も、一人か二人。「攻撃訓練中のドラゴンの群れがねぐらから飛び立ち、ぎざぎざの翼をばたつかせて空を渡っていったのさ」
-ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語(下)(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.188-189)
「時計」や「時間」、「ドラゴン」で竜巻を表現していることが分かりますよね。
ドロシーは、後にエルファバが忌み嫌う相手になります。
きっとその相手が空からやってくるということに対してこれらの表現を使うことで、「呪われた宿命」を感じさせるという効果をもたらしているのかもしれません。
しかも、ドロシーはエルファバの妹・ネッサローズの靴とも非常に深い関係にあります。
こう考えると、エルファバの生きる時間の歯車を動かし続ける家族の存在と、呪いの強い結びつきを感じずにはいられないのです。
ドラゴン時計とは何なのか…。
その答えのない存在が作品の不気味さを増し、それこそがドラゴン時計の存在価値なのだと気付きました。
つまり、作品全体を通して気味の悪さを演出するために設けられた存在だ…ということです。
舞台セットをよく見ると、上部にドラゴンがいて、そこかしこにぜんまいがあしらわれていると分かりますが、これはドラゴン時計の見世物小屋から着想を得ていると考えられます。
こう考えると、この舞台に登場する全ての人物は、ドラゴン時計内で操られているからくり人形とも捉えられます。
そうなると、とても不気味で気味の悪い感覚に陥りますね。
答えはどこにもありませんが、そう捉えられてもおかしくない舞台美術であることは間違いないですね。
ミュージカルでは描かれていないドラゴン時計の存在。
そしてエルファバとの関係性、お分かりいただけましたでしょうか?
原作は万人受けする作品とは言い切れませんが、緞帳の地図も原作にあるものが元になっていたりと、多くの気付きがあること間違いなしです。
是非一度、手にとってみてください。
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