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あきかんのプロフィール①幼少期~大学

このページでは、私の幼少期から大学時代までのプロフィールをまとめています。

舞台芸術を大学で学ぶことにした理由や、舞台芸術の世界の大変さについて知ることができるますので、気になる方はぜひご覧ください。

舞台が傍にあり続けた幼少期

 

幼いころからミュージカルやクラシックバレエを鑑賞する機会に恵まれ、物心ついた頃から、舞台と名のつくものが好きでした。

恵まれていたと言えば、父親の仕事で海外生活をしていこともそうです。中近東での生活は3年間とそう長いものではありませんでしたが、当時11才で感受性豊だった私は、自分の核となる3年間を過ごすこととなります。その3年間をアメリカンスクールで過ごしたため、あらゆる人種や宗教の人に囲まれ、日本とは異なる沢山のことを体験しました。

滞在期間中、家族でイギリスへ旅行した際に初めて観た海外ミュージカルが『CATS(キャッツ)』です。

今まで観たこともない世界観、本物の猫以上に猫なダンサー達、そして耳に残り続ける音楽の数々…この経験は、それ以降の私の舞台好き人生にとって非常に重要なものとなっていきます。

このような幼少期を過ごして来たこともあり、私にとって舞台という存在は近すぎず遠すぎず、常に傍にあるものでした。

「舞台女優になりたい」という淡い夢を当然のように抱き、「裏方ってかっこいいな…」「劇作家って何するの?」と憧れが憧れを呼び、具体的に将来を考え始めたのが高校2年生の時です。

 

「やれば出来る」ことを知った高校時代

 

高校2年生。

文化祭の出し物を決める時期、私のクラスでは「演劇をやろう」という話がほぼ固まっていたのですが、積極的に舵をとる生徒はいませんでした。私は舞台が好き、それは偽りのない事実で、人前に立つことも嫌いではありませんでしたが、目に見えないヒエラルキーのある高校生活の中で自分だけが積極的に前に出るのは何となく嫌でした。

そこで、いわゆるクラスのリーダー的存在とだったら出来るかもと、近くに座っていたその子に声をかけ、2人で文化祭係に立候補します。とりまとめ役は彼女に任せ、私はひたすら舞台制作に勤しみました。台本を書き、大道具・小道具の制作をまとめ、演出・振付を担当したのです。

ちなみに「演出家」という職業はこの時初めて知ることになります。

照明でも音響でも、振付家でも脚本家でもない、頭の中で思い描いた世界を全ての部署と連携して創り上げる。幼い頃から頭の中で描いていた様な空想世界を、実際に舞台上で現実し職業にしている人達が演出家であり、自分は今まさにそれに近いことをこの文化祭で経験しているんだと実感したものです。

そんな色々な挑戦や模索、出会いと感動を経て、3年生でも率先して文化祭を担当し、本格的に舞台の道に進みたいと考えるようになります。何でもとにかくやってみれば分かることが沢山あるということをこの経験から学びました。

 

 

「理想と現実」を見た大学生活

宮本亜門との出会い

 

高校の文化祭で、想像したものを実際に自分達の手で創造することに魅せられ、「演出家になりたい」という熱い想いが募ります。そして私の舞台への情熱は完全にヒートし、担任の理解と両親の協力もあり、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科に入学することができました。

…と、ここまではとても華やかな経歴に聞こえますが、いわゆる受験勉強をしていないですし、AO入試1本での受験でしたので、他の学生から見たら甘えているように見えたかもしれないですね。それでも、AO入試のために20ページ程ある出題冊子に自分の考えを文章にまとめて提出したりして、倍率が20近くあったAO入試で入学出来たことは、自分の自信にもつながっています。

丁度入試に合格した頃、たまたまNHKで宮本亜門の特集を見ました。

それまで彼の事など何ひとつ知らなかった私でしたが、玉川学園の生徒で高校時代の文化祭がきっかけで演出家を志したことや、その後玉川大学に入学し、プロの演出家になるために中退したことなどを番組で知りました。もちろん、それを知った私はテレビの前で号泣です。

こんなに偉大な人と同じような経緯をたどっている…運命しか感じませんでしたね。何かとても大きなものを得たような気がして、巨大な船に乗ったような心持ちで大学生活を迎えます。

 

なぜ玉川大学なのか

 

舞台芸術を学ぶ時に、関東圏で出てくる大学名といえば「日本大学 芸術学部」「玉川大学 芸術学部」そして「桜美林大学」の3つでしょう。

いずれの大学も見学しましたが、中でも私にとって一番理想的なキャンパスだったのが玉川大学です。

自然豊かで広大な敷地。都内にも関わらず、こんな草木豊かな大学はかなり珍しいと思いました。自分が過ごす4年間をこのキャンパスで過ごせたらどんなに素晴らしいだろうかと、何度も想いを巡らせたものです。そう言うと完全に見た目で決めた様に聞こえますが…もちろん、見た目だけで選んだわけではありません。

「入学時に専攻を決めなくて良い」というのが最大の決め手でした。

日本大学は、入学時に自分の専攻を決めておく必要があります。役者、ダンサー、照明、音響、演出…専門特化することで専門性を伸ばし技術力を高める、それが日本大学のスタイルです。

私は何か専門的な知識は持っていなかったですし、舞台の仕事に携わるなら色々な部署を経験しておきたいと思いました。演出家志望なら尚更です。

あらゆる経験をして、その過程で自分に向いているものを、見つけ出そうと思っていたので、迷わず玉川大学1本に絞ったというわけです。

 

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「理想と現実」を見た1・2年

馴染めなかった空気感

 

さて、いざ大学に入ってみたら、情熱の度合いが皆違うし、皆ハングリーだし…必修項目で公演をやるにも朝帰りだし…。

正直イメージしていた大学生活とは全く異なりました

1、2年は、専攻課目は勿論一般課目の履修もありますから、毎日時間割はフル。15時までは一般課目(語学、社会等)、専攻課目(演技基礎、照明基礎等)を履修し、15時からは実習公演のスタッフとして全員参加します。はじめのうちは18時に大学を後にするよう教授や先輩も促していましたが、次第に19時になり、21時になり…最終的には終電で帰れれば良いという空気です。

教授も講師も先輩もこういう道を歩んで来た人達なので、本来は「泊まり込みが当たり前」という考え方。そんな中終電よりも早く帰ろうものなら白い目で見られました。初めのうちは楽しんでいた現場も、日を重ねるごとに楽しめなくなっていきました。

実習公演がスタッフ経験を一番積める場所ですが「現場の仕事内容よりも現場の空気感に結局2年間慣れることができなかった」というのが自分の1、2年を振り返った結論です。勿論、こういう空気感の中でもガツガツやっていけるタフな人は沢山いましたが、私はそういうタイプではなかったのです。

指示通りに出来ないと罵声が飛んで来たり、人間ですから教授や先輩のえこひいきもあります。そういう生活に良い意味で麻痺できれば良かったのですが、出来なかったんですね。

 

実感したスタッフのキツさ

 

それに毎回自分の興味のある公演に携われるわけでもありません。教授が持ち回りで公演を持ち、演出を行うのですが、教授によってミュージカル、舞踊、芝居などと扱うジャンルは異なります。

自分が「ミュージカル公演に関わりたい」と思っていても芝居や舞踊公演が立て続くこともありますし、オリジナルのミュージカルをやったとしても「何だこの作品は?」と納得できないまま関わらなくてはいけない作品もあるんです。社会に出て裏方スタッフとして就職したら絶対そんなことは言えないですし、作品も選べませんから、ここは私の考え方の甘さが出てしまったところですね。

ちなみに、2年間のスタッフ活動の中で、一番きつかったのは照明です。かなりの花形部署ですが、完全に自分には合わないと感じました。

中でも屋外公演の準備で、寒空の中の「場当たり」は辛かった…。夜公演でしたので、屋外で役者に照明を当てる色を確認するのですが、とにかく寒い。役者の代わりに石の地面に立ち、色が決まるの待ちました。死のシーンでは横になってひたすら待つことも…今ではこういう地道な作業が素晴らしい作品を創るのだと思えますが、あの時は苦痛でしかなかったですね。

それから、照明と言う仕事は外の光が入らない場所でひたすら照明と向き合います。昼夜関係なく、とにかく暗い空間で光を決めるので、あの時ほど太陽が恋しかったことはありません。そして、太陽のありがたさを改めて実感しました。

観ている時は華やかな世界、創っている時は地獄を見ることも…これが私が経験した「理想と現実」というわけです。

ちなみに2年間で私が経験した部署は、大道具・小道具、演出助手、照明ですよ。

 

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「視野を広げた」3・4年

「実習」から「座学」へシフト

 

こんな1・2年を過ごし、私は悩みます。「憧れていた舞台という世界は、こんなにも自分の肌に合わないものだったのか…」と。3年以降は学内公演が必修ではなくなるので、自分はこのまま嫌々ながら実習を続けるのか改めて考え直しました。

その結果、実習を離れ学問に専念しようという結論に至りました。

もともと、裏方など現場での技術や知識を深める理由で入学したのに、こんな方向転換をしてもったいないんじゃないか…とは何度も何度も思いました。でも、感覚的に合わない…となればきっと仕事にすることもないのでは…と考えたのです。

であれば、まだまだ私が知らない舞台という世界を、別の形で勉強しようと思ったのです。

 

ゼミの選択

 

そこでまずはゼミの選択をするのですが、私は迷いなく「日本の古典芸能」について学問出来るゼミに入りました。

理由の1つはゼミの教授の授業が1・2年時にとても面白かったので、もっと彼から学びたい…ということなのですが、もう1つは「日本人ならば日本のことをきちんと知ろう」という思いからでした。

海外生活の経験がある私は、ここで自分が日本人であるということを改めて自覚しました。そして、日本には貴重で尊い文化・芸能が沢山あると気付いたのです。

仮に英語が話せたとしても、自国のことを何も知らないというのはあまりに恥ずかしいですし、もったいない。そういった思いが募り、日本の古典芸能を勉強し始めます。

ゼミの他にも西洋音楽史から受けた影響は非常に大きかったです。この授業を履修しなければ、クラシック音楽に興味を持つこともなかったかもしれません。

日本の古典芸能と西洋音楽史を学問したことは、知見を広めると言う意味で、非常に意味のあるものだったと感じています。

 

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ここまでお読みくださり有難うございました。

次は就職活動の難しさ劇団四季でどんなことをしていたかについてまとめています。

引き続きお読みいただけると嬉しいです。

 

また、お問い合わせの際はお気軽にご連絡くださいね。

 

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