劇団四季版の「陽ざしの中へ」では歌われていないカジモドの気持ち①

あきかん

こんにちは!

ミュージカル考察ブロガー、あきかん(@performingart2)です。

劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dame)』より「陽ざしの中へ(Out There)」の英語歌詞を見てみると、劇団四季版の歌詞からは知ることの出来ないカジモドの気持ちが沢山書かれていると分かります。

英語歌詞を1つ1つ見ていきながら、カジモドの気持ちをもっともっと深く知っていきましょう。

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歌詞のおさらい

 

この曲は本作品の中で一番メジャーな曲でしょう。

アニメ版を観た際一番印象に残ったのがこの曲で『ノートルダムの鐘』には何て素晴らしい曲があるのだろうと感銘を受けたのを覚えています。

そして今回、目を潤ませながら向き合ったのがこの歌詞です。

外の世界で過ごす1つ1つのことが彼にとっての憧れで、自分が外に出たらどんな風に1日を過ごしたいかを歌い上げる曲。

彼の現実と理想とが絶妙に比較される歌詞を追いかけながら、カジモドの気持ちをしっかりと理解しましょう。

 

英語版

 

Quasimodo:
My sanctuary.

Safe behind these windows
And these parapets of stone
Gazing at the people down below me
All my life I watch them
As I hide up here alone
Hungry for the histories
They show me

All my life I memorize their faces
Knowing them as they will never know me
All my life I wonder
How it feels to pass a day
Not above them
But part of them

―ミュージカル “The Hunchback of Notre Dame” より “Out There” (作詞:Stephen Schwartz)

 

劇団四季版

 

石の壁に隠れたままで
街を見下ろしている
普通の暮らし知りたいけど
いつも眺めてるだけ
誰にも気づかれずに
死ぬまでここで一人
みんなと一日過ごせたら
どんなに
素敵だろう

―劇団四季ミュージカル 『ノートルダムの鐘』 より 「陽ざしの中へ」(訳詞:高橋知伽江)

 

今回紹介するパートは、カジモドの正直な気持ちが痛烈に伝わってくるパートになっています。

英語版にはかなり情報量があり、日本語訳する上でそれらを切り落とすのはとても惜しいと思えるほとです。

それでは1つずつ説明していきます。

 

劇団四季版でも歌われている内容

つぶやく “sanctuary”

 

カジモドのソロに入る直前、フロローに “Remember Quasimodo, this is your sanctuary.(よく覚えておきなさい、ここがお前にとっての聖域だ)” と言われ、自分でも “My sanctuary.(僕の聖域)” と繰り返すカジモド。

この曲では、自分にとっての本当の聖域とは何なのか…ここ塔の中にひっそりとしていることなのか、自分の気持ちに従って外に出ることなのかということが考えさせられます。

“My sanctuary.” は直訳すれば「僕の聖域」ということですが「僕の、聖域…聖域って何だろう」というニュアンスが含まれているように聞こえますね。

 

カジモドの視点

 

ソロの歌い出しが “Safe behind these windows/And these parapets of stone” で、劇団四季版では「石の壁に隠れたままで」と訳されている部分です。

内容的にはほぼ同等で、英語版の意味は「窓と石屋根の内側にいれば安全」となり、カジモドの居場所をより具体的に説明していることが分かります。

続く “Gazing at the people down below me” は、劇団四季版で「街を見下ろしている」と訳されている部分ですが、これは「僕の遥か下にいる人たちを見つめるだけ」という意味です。

ここで注目して頂きたいのは、劇団四季版では「街」、英語版では “gazing at the people” で「人たち」を見つめているということ。

カジモドは街に興味と憧れがあるのではなく、街を行きかう人々に興味があるのです。

高い塔の上から、じっと下を見つめるカジモドの様子が目に浮かびますね。

 

塔から見つめるだけ

 

英語版で “All my life I watch them/As I hide up here alone” となっています。

ここは「僕の人生はずっと彼らを見つめるだけ/この高い場所にたった1人隠れながら」となります。

歌われているタイミングは異なりますが劇団四季版で「いつも眺めてるだけ」に当たりますね。

 

普通の暮らし知りたいけど

 

“All my life I wonder/How it feels to pass a day” もタイミングは異なりますが、日本語の「普通の暮らし知りたいけど」の意味に当たるところです。

ニュアンス的に少し異なるのは、日本語の「知りたい」と言っているのに対して、英語では「僕の人生はずっと不思議に思い描くだけ/1日を過ごすとはどんな気分だろうかと」という風に問いかけるように歌っています。

このような歌い方をカジモドがすることで、彼の感情がよりリアルに伝わってきますよね。

 

 

劇団四季版では歌われていない内容

 

さて、ここからは劇団四季版では英語版を文字通り訳していない部分を紹介していきます。

この記事の文頭でも書きましたが、カジモドの現実と憧れが上手く比較されながら書かれている歌詞に注目していきましょう。

 

過行く時間

 

“Hungry for the histories/They show me” の部分はなかなか解釈の難しいところだなと感じています。

“hungry” とは文字通り「飢えている」という意味で良いのですが、 “history” をどう理解するかということがポイントになってきます。

「歴史」でも良さそうですが、そうするとかなり壮大な規模観になってしまうので、ここは街を行きかう人々の「過去」だったり「生きてきた過程」のことを意味しているのでしょう。

カジモドは「彼らが僕に見せてきた、過去(生きてきた過程)に飢えている」と歌っているのです。

カジモドはずっと塔の上から人々の生活を見ていて、毎日どんなことをして過ごし、どんな風に日々を重ね、ここまで来たのかということをずっと見ているのです。

その毎日毎日積み重ねてきた過去が彼にはないものゆえに愛おしく、憧れている…飢えているということなのでしょう。

 

人々の顔は分かるのに

 

今回のパートで一気に涙腺が緩む歌詞が “All my life I memorize their faces/Knowing them as they will never know me” で、外の世界とカジモドがいる塔の内の世界との隔たりを大きく感じずにはいられません…。

カジモドは外の世界を毎日見ていますから、街の人々の顔を覚えているんです。

ですがその逆はどうでしょうか?街の人々はカジモド顔はおろか、存在すら知らない人もいます

そういった状況にカジモドの心境を重ねて歌っているのがここなんですね。

意味は「僕の人生はただひたすら彼らの顔を覚えるだけ/彼らを知っているのに僕が知られる事は決してない」です。

ものすごくシンプルが故に、言葉がストレートに胸に突き刺さりませんか?

 

ここではなく

 

そして、ここで涙腺が崩壊します… “Not above them/But part of them” は「彼らの上からではなく/彼らの一部として」です。

これどういう意味か分かりますか?

カジモドの正直な気持ちが吐露された瞬間ですね。この歌詞に至るまで、上にいる自分と下にいる街の人々を比較してきたこの歌詞ですが、ここでカジモドは「こんな風に上でただじっとしているのではなく、彼らの一部として1日を過ごしてみたい」ということを歌うのです。

劇団四季版では「みんなと一日過ごせたら/どんなに素敵だろう」と訳されていますが、「~できたら」とか「素敵」とかそういう言葉では説明しきれないほどの感情が “Not above them/But part of them” には込められています。

 

距離を感じる単語に注目

 

さて、歌詞の説明はここまでですが、この歌詞を英語で読む上で意識して欲しい単語の数々がありますのでご紹介します。それが以下の色のついた部分です。

 

  • Safe behind these windows/And these parapets of stone
  • Gazing at the people down below me
  • All my life I watch them/As I hide up here alone
  • Hungry for the histories/They show me
  • All my life I memorize their faces/Knowing them as they will never know me
  • All my life I wonder/How it feels to pass a day
  • Not above them/But part of them

 

何度も書いている通り、この曲では外の世界と中の世界とが比較されています。

とりわけ、カジモドの視点が意識されているので、それぞれの世界の距離を感じさせるような書き方が注目すべき点です。

あえて訳すならば、 “down below” は「ずっと下」、 “up here” は「こんな上の方で」、 “above” は「頭上で」といった感じです。

そしてこれだけ距離感を感じさせる単語を使った上で、 “part of(~の一部)” が使われるところを見ると、ここでカジモドと外の世界の距離が一気に縮まったと分かりますよ。

こういう1つ1つの単語からも歌い手の感情を読み取ることができるので、是非見落とさないでくださいね。

 

あきかん

それでは皆さん、良い観劇ライフを…

以上、あきかん(@performingart2)でした!

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