グリンダとエルファバの名前の由来とは?

劇団四季ミュージカル『ウィキッド(Wicked)』の登場人物、グリンダとエルファバ。2人の名前って少し独特ですよね。

そんな二人の名前の由来とはどのようなものなのでしょうか?原作『ウィキッド~誰も知らない、もう一つのオズの物語~』を読むと、それぞれの名前の由来が分かりますよ。

グリンダの名前の由来

実は、グリンダというのは本名ではないんです。正しくは「ガリンダ」なのですが、シズ大学へ向かう列車の中で、ディラモンド教授の発音間違いにより、初めて「グリンダ」という単語が登場します。

 

山羊とはいえ、なんてみすぼらしい格好をしているの、とガリンダは思った。金で買えないものもあるようだ。「では、わたしもこの引っ込み思案の性格を克服しないといけませんわね。ガリンダと申します。母方がアーデュエンナ一族ですの」

「それでは、シズへようこそ。この大学でいちばん最初にあなたを歓迎させていただきますよ、グリンダ。新入生ですか?」

「あの、ガリンダ、ですわ。よろしければ、由緒正しい昔ながらのギリキン語の発音でお呼びくださいな」ぞっとするような山羊ひげと、まるで酒場のじゅうたんを切って作ったようなみすぼらしいチョッキを見たら、とても先生、と敬称をつける気にはなれない。
ウィキッド~誰も知らない、もう一つのオズの物語~(上)(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.111-112)

 

ガリンダは自分の家柄や生まれ故郷にプライドを持っている女子大生なので、「ガリンダ」という名前にもプライドを持っていたのですが、外見も雰囲気もみすぼらしいディラモンド教授に名前を間違えられたことで、いささか腹を立てます。

しかし、そんなガリンダが名前を「グリンダ」と名乗るようになったのもまた、ディラモンド教授がきっかけでした。

 

それが殺人であることは、死体を見た誰の目にも明らかだった。首のまわりの毛は、ぞんざいに洗ったペンキの刷毛のように固まってこびりついており、琥珀色の目はうつろに見開かれていた。表向きは教授が拡大レンズを壊し、それにつまずいて頸動脈を切ったということになっていたが、そんな話、誰も信じていなかった。(中略)グリンダ―ガリンダは殉教者となった<山羊>教授に初めて会ったときの非礼を遅まきながら詫びる気持ちから、教授がそのとき自分を呼んだように、自分をグリンダと称することにした―は、そんなアマ・クラッチを見て、口もきけなくなるほどショックを受けたようだ。
ウィキッド~誰も知らない、もう一つのオズの物語~(上)(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.111-112)

 

原作の上巻中盤で、ディラモンド教授が何者かによって殺されてしまいます。ここはミュージカルと異なる点ですね。

ガリンダは特にディラモンド教授に思い入れもなかったし、むしろあまり好きなタイプの教授ではありませんでしたが、そのあまりに無残な殺され方を見て、初めて列車で会った時に呼ばれた名前「グリンダ」を、今後の人生を通して名乗ろうと決意します。

これがガリンダがグリンダという名前になったきっかけであり、由来だったんですね。

 

 

エルファバの名前の由来

一方のエルファバはどうでしょうか?

実際、コレと明言されているものはないのですが、小説を通して度々登場する「聖アルファバ」という聖霊の存在がエルファバの名前の由来になっていると考えられます。

 

「エルファバですって」とツーが感慨深げに言う。「なかなか素敵な名前じゃないの。どこから取ってきたのかしら?」

「わたし、知ってるわ」ファイブが行った。結婚できる見込みが薄れてきたとき、宗教にちょっと手を染めた時期があったのだ。いつだったか、『聖人伝』を読んだことがあるの。滝の聖人アルファバっていう人がいるわ。マンチキンの神秘主義者で、六世紀か七世紀前の人よ。覚えてない?聖アルファバは祈りをささげたかったのだけれど、あんまり美しかったもんだから、地元の男たちが付きまとって-歓心を買おうとしたのよ」(中略)

「清らかなままでいたいと、聖アルファバは聖典とぶどうをひと房持って荒野に行ったの。でも、野生の獣たちに怯えたり、粗野な男たちにつきまとわれたりで、聖アルファバは疲れ果ててしまった。そんな時、崖から流れ落ちる大きな滝にたどりついたの。『これを我が洞れで、窟としましょう』と言って、服を脱ぎ棄て、流れ落ちる水のとばりをくぐると、その向こうに飛び散る水にうがたれた穴があったんですって。それで、そこに腰をおろして、水のとばりから差し込んでくる光で聖典を読みながら精神的なことについて瞑想したの(略)」

ウィキッド~誰も知らない、もう一つのオズの物語~(下(グレゴリー・マグワイヤ 著/服部千佳子・藤村奈緒美 訳)(p.105)

 

洞窟に入った聖アルファバは瞑想し続け、出てきた時には100年が経っていたそうです。そこで村人を説き、関わりを持っていくのですが、アルファバの振る舞いは作品を通して描かれているエルファバのイメージとはまるで逆のものです。

エルファバは人との関わりを避け、一人で行動することを好みますし、非常に悲観的で攻撃的です。

物語の終盤でエルファバはドラゴン時計で行われる寸劇を観るのですが、ここで上演された第一幕が先にも紹介した聖アルファバの伝説でした。しかし、ここでは本来洞窟から出てくるはずのアルファバは出てこないまま第二幕に突入してしまいます。

私の解釈では、この寸劇はエルファバの半生を描いたものなので、聖アルファバの物語を見せながらも、実はエルファバがどういう人間なのかを見せようとしていたのではないか…と考えています。

こんな風にところどころで登場する聖アルファバですから、エルファバと関係ない訳がないんですよね。聖人と似た名前を持っているが、実際はかけ離れているという点でエルファバの性格を誇張したり、一方で影響力がある点などを強調したりしているのではないかと思います。

ドラゴン時計についてはこちらをご覧くださいね。

 

 

 


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