カジモドの父親はフロローの弟・ジュアン。彼が最期、兄に訴えたこと

劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dame)』より「ノートルダムの鐘(The Bells of Notre Dame)」の英語歌詞と日本語歌詞を見てみると、 ジュアンの最期に交わす兄弟の会話で決定的に異なる箇所があります。

 

「カジモドの親は誰か」話す場面で、英語の台詞は次のようになっています。

 

フロローの「ジプシーの子だ」: “But he’s a gypsy child!”

 

ジュアンの「俺の子だ」:”…and mine.”

 

冒頭にくる接続詞がそれぞれあるかないかで、フロローの持つ偏見と、ジュアンが取り払いたい偏見を対比しながら見ることができますよ

Music from the Musical

・作品名:ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dame)

・曲名:ノートルダムの鐘The Bells of Notre Dame

・楽譜:The Bells of Notre Dame

・訳詞:高橋知伽江(作詞:Stephen Schwartz)

アルバムを視聴する/楽譜を見る ・アルバム(日本語):ノートルダムの鐘
・アルバム(英語):The Hunchback of Notre Dame
・楽譜:

 

台詞の比較

 

手紙を受けて、弟・ジュアンの元へと急いだフロロー。

その時初めてジプシーのフロリカとジュアンの間に赤ん坊がいたことを知ります。

その赤ん坊こそ、カジモドです。

子どもを引き取ってくれるよう頼まれた時のフロローと、その後のジュアンの台詞が英語と日本語では微妙に異なります。

まずは比較してみましょう。

 

日本語

 

日本語はこうなっています。

 

フロロー:
ジプシーの子だ

ジュアン:
俺の子だ
引き取ってくれ 哀れに思ってくれるなら

―劇団四季ミュージカル 『ノートルダムの鐘』 より 「ノートルダムの鐘」(訳詞:高橋知伽江)

 

英語

 

英語はどうでしょうか?

 

Frollo:
But he’s a gypsy child!

Jehan:
…and mine.
Take him…if you can find anymore heart.

―ミュージカル “The Hunchback of Notre Dame” より “The Bells of Notre Dame” (作詞:Stephen Schwartz)

 

どうですか?

受ける印象が、何となく違うことに気付きましたか?

 

注目すべきは、接続詞 “but” と “and”

 

英語を日本語に訳して、もう一度比較してみましょう。

 

・日本語 … 「ジプシーの子だ」 「俺の子だ」

 

・英語 … 「でも、彼はジプシーの子だ」 「…そして、俺のだ」

 

英語の方が1単語ずつ多いのに気付きましたか?

そうです、ここの部分が違うんです!

 

・日本語 … 「ジプシーの子だ」 「俺の子だ」

 

・英語版 … 「でも、彼はジプシーの子だ」 「…そして、俺のだ」

 

英語には “but(でも、しかし)” と “and(そして、それから)” が入っています。

「なんだ、それくらい大した違いじゃないよね。」と思った方…そんなことはありませんよ。

 

 

大きく異なる意味

フロローの台詞「でも、ジプシーの子だ」

 

「ジプシーの子だ」は「でも」が入る方が、ジプシーに対する嫌悪感が感じられますよね。

「聖職者の立場として、一人の人間として、赤ん坊を見捨てるわけにはいかない。でも、それはジプシーの子ではないか…」というフロローの葛藤が “but” からくみ取れます。

 

ジュアンの台詞「…そして、俺のだ」

 

2つ目の違いは、ジュアンの台詞です。

日本語では単に「俺の子だ」と言っています。

フロローがどれだけ自分を愛していたか知っているからこそ、フロローを説得するという意味で「俺の子だ」と訳されていることは否定しません。

ですが、これだと「兄さんの大事な弟の子なんだ」というニュアンスだけが前面に出てしまいます。

 

しかし、英語の「…そして、俺のだ」は違います。

「兄さんがジプシー嫌いなのは分かっている。でもこれは、俺の愛したジプシーの娘フロリカ、そして兄さんが愛する俺との間にできた赤ん坊なんだ」という最期まで理解を求めるジュアンの姿勢が “and” からくみ取れるのです。

 

“…and” があることの大きな意味。

“…and” が入ることによる、この台詞の素晴らしさ。

 

ジュアンは “and” を使うことで、ジプシー・フロリカの子であり、自分の子でもあるという事実を両方伝えています。

しかもそれを少し溜めてから、悲しそうに言ってこの世を去っていきます。

愛する妻フロリカがジプシーであることを否定せず、愛する兄フロローを責めるでもないこの一言…素晴らしくはないですか?

私はこの台詞を見た時に、ジュアンの愛の深さを感じました。台詞部分でこの”…and” が翻訳されなかったのは、とても残念。悔やまれます。

たかが接続詞、されど接続詞。

観劇される方…是非、劇場でジュアンの想いを受け取って下さいね。

 

曲のポイント

 

・フロローの「ジプシーの子だ」は、英語で「でも、ジプシーの子だ」になっている。

 

・ジュアンの「俺の子だ」は、英語で「…そして、俺のだ」になっている。

 

・英語の台詞の方が、フロローの葛藤とジュアンの理解を求める姿勢が伝わりやすい。

 

・接続詞1つで、ぐっと意味が深まる。

 

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