劇団四季ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』は「イエス・キリスト最後の7日間」を描いたミュージカルです。
しかし、聖書に馴染みのない方にとっては「最後の7日間」はもちろん、「イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)」もいまいちピンとこないのでしょうか。
この記事では、作品理解を深めるため「イエス・キリストとは誰か」と「最後の7日間」を解説していきます。
※物語の展開に触れる記事です。予めご了承ください。
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イエス・キリスト最後の7日間とは、どのような日々だったのか?何がイエスを人気にし、なぜイエスは十字架にかかることになったのか?
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目次
「イエス・キリスト」とは
「イエス・キリスト」が誰なのか分からなければ、本作の楽しみは半減してしまいます。
しかし、聖書を紐解きながらイエス・キリストを理解するのは、なかなか骨が折れますよね。
キリスト教と聞いて「イエス・キリスト」という名前まではイメージ出来るものの、イエスがどのような存在なのかは分からない…という方は多いはず。
何を隠そう、私自身がそうでした。
ここでは、ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』を観る上で、最低限必要な知識をまとめていくので、是非押さえておきましょう。
イエスは「神の子」で「救世主」
大前提として、イエスは「神の子」です。
キリスト教には、全知全能の「神」が存在します。天地を創造し、草木・動物・人間を創った存在ですが、その神が自身の子として認めた人物がイエスです。
「イエス」が名前なのに対し、「キリスト」は「救世主(メシア)」を意味しています。
そのため「イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)」と言った場合は「救世主イエス」の意味になります。
『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』でポイントになってくるのが、この「救世主」の概念です。
イエスは「神の言葉」を伝え「神の愛(アガペー/無償の愛、相手に価値がなくても愛すること)」を説き続ける「宗教的な救世主」でした。
しかし支配された日々の中で、ユダヤのために立ち上がるリーダーを求めていた民衆は、救いの手を差し伸べるイエスに「政治的リーダー(救世主)」を重ね、そうなることを求めていきます。
こういったすれ違いが、双方に溝を作り、イエスは最終的に処刑されることになります。
なぜ十字架にかかったのか
キリスト教には「罪」という考え方があります。
罪とは「神の言いつけに背くこと」で、罪を犯した人間は「最後の審判」で罰せられることになっています。
つまり天国へは行けず、地獄に落ちるのです。
イエスは全人類の罪を償うために、十字架にかかりました。
本来、自分の犯した罪は自分で償うものですが、世の中には罪を犯しても自力で償うことができない人々がいます。
そんな人々の代わりに、イエスは自らの死をもって罪を償い、神と人間との間に和解をもたらしました。
全人類のために自ら十字架にかかったイエス。
「イエスを救世主として受け入れるのであれば、神に救われる資格を特別に得られる」という考え方が、キリスト教の核にあります。
また、その後イエスが復活することで「神は神を信じる者を見捨てず、生死を越えて信頼に値する存在である」ことを証明しています。
「イエス・キリスト最後の7日間」とは
「最後の7日間」とは「イエスが十字架にかけられるまでの7日間」のことで、「受難週」とも呼ばれています。
イエスの真意が周囲に理解されぬまま、十字架にかかっていく姿に痛ましいものがあります。
7日間とは具体的に次の通りです。
- エルサレム入場
- 宮きよめ
- 論争
- ベタニアの塗油(とゆ)
- 最後の晩餐
- 十字架、埋葬
- 墓の中
どのような日々だったのか、具体的に見ていきましょう。
なお、福音書によって7日間の内容は異なりますが、ここではミュージカルに沿ったかたちで解説します。
エルサレム入場
西暦30年の春、イエスは使徒にエルサレムへ行くことを告げます。
エルサレムへ向かう途中は、ユダヤ教の祭り「過越祭(すぎこしのまつり)」へ向かう巡礼者でごった返していました。
「過越祭にユダヤの救世主が降臨する」と信じれられていたため、民衆は「今年こそ、ユダヤを再興する救世主が現れるのでは」とエルサレムへ殺到します。
この時期イエス一行がエルサレムへ入場したため、民衆はイエスを「ユダヤを解放する政治的リーダー」だと期待し、熱狂します。
ユダヤ教主流派のカヤパは、イエスを「ユダヤ教を根本から脅かす存在」と捉えていたため、イエスを捕え、殺害する計画を立てます。
しかしタイミングを誤って民衆に暴動を起こされては困るため、イエスの動向を見守っていました。
政治的リーダーを期待されたイエスは、その誤解を解くためにもひたすら「神の愛」を説きます。
しかし、使徒でさえイエスの真意を理解していなかったため「自分の死をもって説くしかない」という覚悟が、イエスの中にはありました。
宮きよめ
神殿の境内の中は、過越祭のために集まった人々であふれていました。
そこでは、参拝者を目当てにした商売が行われていたので、イエスは商売人をしかりつけます。
その後神殿で教えを述べるイエスでしたが、イエスが政治的リーダーとして立ち上がる様子を見せなかったので、民衆のイエスに対する見方は徐々に変化していきます。
論争
この日イエスは1日中神殿にとどまり、イエスの反対者・敵対者との論争を行います。
イエスを敵視する人々はイエスの言葉尻を捕えて糾弾しますが、イエスは1つずつ言葉を返していきます。
ベタニアの塗油
エルサレムに近いベタニアという土地の、シモンの家に滞在していたイエス一行。
ここで食事についていると、1人の女性(マグダラのマリア)が高価な香油をイエスの頭に注ぎかけます。
「何故こんなに高い香油を無駄遣いするのか」と1人の使徒(イスカリオテのユダ)が憤慨しますが、イエスは「彼女は私によいことをしてくれたのだ。私に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれたのだ。」と返します。
イエスの振る舞いが気になっていたイスカリオテのユダは、この頃カヤパと話し、銀貨30枚でイエスを引き渡すことを取り決めます。
なお、この額は当時の奴隷1人分の値段で、大した金額ではなかったようです。
最後の晩餐
イエスが十字架にかけられる前に、12使徒と共にした最後の食事です。
使徒はイエスが熱烈に迎え入れられたことに感動し、舞い上がっていましたが、イエスを支持していた多くの民衆はイエスを誤解し「政治的リーダー」を期待する者でした。
しかしそんな民衆も、イエスが政治的リーダーになることを拒んでいることに気付き始め、期待は憎悪へと変わっていきます。
イエスは誰にも理解されず、誤解を解こうともせず、ただひたすら「神の愛」を説き続けていました。
最後の晩餐で、イエスは2つの予告をします。
- ユダの裏切り
- ペテロの否認
自分の最期を知っていたイエスは、ゲッセマネに行き祈ります。
イエスはペテロ、ヨハネ、大ヤコブと3人の使徒を伴ってゲッセマネへ向かいましたが、3人ともイエスが祈っている間、眠ってしまいました。
そんな弟子を横に、ひたすら祈るイエスは、時が来たことを伝えます。イスカリオテのユダが、民衆を連れてイエスを捕えに来たのです。
イエスは捕らえられ、裁判を受けることになります。
カヤパ達の間ではイエスを死刑にすることは決まっていましたが、死刑にする理由がなかったため、イエスの言動から「神を冒涜した罪」を罪状とすることに決めます。
このようにして死刑が確定し、ユダは「罪のない人を売った罪を犯した」と、首を吊って自害します。
死刑判決を出すことはできても、死刑執行をすることができなかったカヤパは、承認を得るため、イエスをピラト総督のもとへ連れていきます。
イエスに罪を見出せなかったピラトは、イエスが育ったガリラヤの領主であるヘロデに判断を委ねることにします。しかし、ヘロデは「ユダヤ人の王」として生まれてきたイエスを嘲笑うだけでした。
たらい回しにされたイエスは、ピラトのもとへ戻ってきます。
民衆の怒りが頂点に達しており、イエスを処刑する以外、事態を鎮圧できない状況にあったことから、ピラトはイエスの身柄を民衆に引き渡します。
そしてイエスは、民衆の希望通り、十字架にかかることになります。
十字架、埋葬
使徒は散り、民衆に罵られるイエスでしたが、女性使徒、母マリア、そしてマグダラのマリアに見守られながら、イエスは十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かいます。
十字架にかけられたイエスは最期の時まで祈り続け、息絶えます。
ここまでがミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』で描かれている内容です。
墓の中
イエスの亡骸はその日の夕方に埋葬されますが、イエスが「3日後に復活する」と発言していたことを思い出した司祭たちが、ピラトのもとに集まります。
そして見張りを付けてよい許可をもらい、イエスの墓に番兵を置きました。
イエスの「復活」は8日目
ここまで解説した通り、イエスは十字架の上で亡くなり、一度埋葬されています。
そして、ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』では、イエスを1人の青年として描いていることから、復活は描かれていません。
しかし、キリスト教において「復活」は非常に重要です。復活とは何なのか、この機会に知っておきましょう。
キリスト教で最も重要な「復活」
キリスト教における復活とは「永遠の生」が誕生することを意味しています。
復活することで「永遠の生」を授かることは、神は「限りある生」を「永遠の生」に高めることのできる存在であることを示しています。
同時に、神は神を信じる者を見捨てず、生死を越えて信頼に値する存在であることも証明しています。
このことを、イエスは身をもって証明し「イエスは確かに救世主であった」と信じられています。
最後の曲に注目
さて、ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』の曲は「ヨハネによる福音書19章41節(John Nineteen: Forty-One)」です。
これは、福音書において復活の直前の節を指しており、このミュージカルが、人間としてのイエスを描き切ることを明確に示している音楽だと言えます。
悲しみに満ちた音楽が、言葉なしに流れていきますが、この事実を意識しながら聴いてみると、本作に対して更なる深みが感じられるはずです。
救世主と呼ばれ振り回されたイエスの苦悩と葛藤を、本作で味わってください。
それでは皆さん、良い観劇ライフを…
以上、あきかん(@performingart2)でした!
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ミュージカル考察ブロガー、あきかん(@performingart2)です。