『ジーザス・クライスト=スーパースター』 登場人物の解説


劇団四季ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター(Jesus Christ Superstar)』の登場人物を解説します。
作品への理解が深まるよう、作品に登場する場面を軸に解説していきます。
『ジーザス・クライスト=スーパースター』の解説・考察本を執筆しました!
イエス・キリスト最後の7日間とは、どのような日々だったのか?何がイエスを人気にし、なぜイエスは十字架にかかることになったのか?ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター』の奥深さを楽しみたい初心者に向けた、解説・考察本。
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Contents:
イエス・キリスト
キリスト教の創始者。ジーザス・クライストとも呼ばれ、英語歌詞内では “JC” と省略される場合もあります。
紀元前6年頃、ベトレヘムで生まれ、ナザレで大工をしている父のもとで育ったため、次のように呼ばれることがあります。
- 大工の子
- ナザレの子
19歳の時父・ヨセフを亡くし、母・マリアを養うこととなったイエスは、大工仕事をすることで生計を立てます。
もともとまじめなユダヤ教徒でしたが、エルサレムの南にひろがるユダの荒野(草木も生えず生き物も住まない地の果て)に洗礼者・ヨハネが現れたことで、彼の人生は変わります。
預言者であるヨハネの評判はたちまちユダヤ人の間に広まり、イエスは、34~35歳の頃ヨハネのもとへ行くことを決心します。
ジェリコの街でヨハネと会い、ヨルダン川で洗礼を受けたイエスでしたが、次第にヨハネの説く神の姿に並外れた厳しさを感じるようになりました。
最終的に、ヨハネの説く神とは別の「愛の神のイメージ」を掴んだイエスは、母・マリアを連れて、ガリラヤ湖畔の街・カペナウムに移り住むことにします。
ここから、イエスによる布教活動が始まります。
『ジーザス・クライスト=スーパースター』の見所はイエスを1人の青年として捉えている点にありますが、「スーパースター」の解釈は非常に重要です。
イエスを「奇蹟を起こすスーパースター(または「神の子」)」と崇めるのは、ユダを除いた弟子や群衆で、イエス自身は自らを「スーパースター(または「神の子」)」とは名乗りません。
むしろ、イエスが「スーパースター」と呼ばれ続けることは、イエスが説く教えが届いていないことを意味し、イエスは一人悲しみます。
このことが分かりやすく説明されている文を引用します。
人々にとってイエスは“夢の対象”だったのかもしれない。多くの人が彼はやがて指導者になるだろうと感じた。民族主義者たちはパレスチナからローマを追い脚ユダヤの誇りをとりもどしてくれることを期待した。そして病人にとっては病を癒してくれる“奇蹟”の聖者だった。
だがそのすべてが誤解だった。イエスはただ“神の愛”のことしか語らなかった。そしてその“愛”が現実には無力であることを知っていた。彼が「汝らは徴(しるし)と奇蹟をみざれば信ぜず」と悲しそうつぶやいたのはこのころである。
―『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子
』(p.15)
つまり弟子や群衆は、イエスを都合よく解釈していたことになります。
イエスが布教したかったことは「神の愛」である一方で、弟子や群衆はイエスを「政治的リーダー」と、病人は「病を癒す聖者」とみなしたのです。
こういった認識の行き違いが、より群衆を熱狂させ、同時に幻滅させることとなります。
最終的に、イエスは「神の愛」を証明する意味で自ら十字架にかけられる必要があると考え、囚われても拒みませんでした。
弟子たちはイエスと共に処刑されることを恐れ、自分達の釈放を条件にイエスを売ってしまいます。
この仕打ちに酷く心を痛めたイエスですが、十字架の上で恨むかわりに、彼らのために必死に祈りました。
これがイエスの示す「神の愛」なのです。
西暦30年の春、エルサレム城外の岩だらけの丘で処刑されたイエスは、十字架に両手・両足を釘付けにされ、3時間の苦しみの後息絶えます。
なお、イエスは自分が捕えられた時「自分の身を守るために、上着を売って剣を買いなさい」と伝えています。これもイエスの説く「愛」の1つなのです。
12人の使徒(弟子)
イエスには以下12人の弟子がいます。
- ペトロ
- アンデレ
- ヤコブ
- ヨハネ
- マタイ
- トマス
- ピリポ
- バルトロマイ
- シモン
- 小ヤコブ
- タダイ
- ユダ
本作で注目すべきは、ペトロ、シモン、ユダの3人のため、他の9人の説明は割愛させて頂きます。
ペトロ
漁師上がりの一番弟子で、イエスから「天国の鍵」を授かり、ヴァチカンの初代教皇となった人物。
最後の晩餐で、イエスが次のように予言する相手です。
- 1人は私を見捨てる
- ペトロが3回私を知らないと言う
イエス逮捕の後、人々に見とがめられたペトロはイエスの一味として詰問されますが「イエスのことは知らない」と、予言通り3度否認します。
イエスを否認することを誓ったことから、カヤパ側と弟子グループの妥協は成立し、弟子たちの罪は全て不問に…。言い換えればイエスは「弟子全員の罪を一切背負わせられた」ことになります。
このエピソードを踏まえると「イエスのことは知らない」と否認したペトロをはじめ、イエスを見捨て逃げた弟子たちは、ユダ同様イエスを裏切ったと言えます。
ペトロに至ってはイエスの一番弟子だったため、「お前は私を見捨てる」と予言を伝えなければならなかったことは、辛かったのではないでしょうか。
最後の晩餐の後、イエスは迫りくる運命に、ひとりで不安と闘っていました。
一度、ペトロを起こしますが、彼が起きることはなく、イエスの苦しみに気付き、共に祈りを捧げる者はいなかったと言います。
そんなペトロの本名は「シモン」。「岩」を意味する「ペトロ」とはイエスが付けたあだ名だそうです。
「何があっても動じない」という意味が込められているようなあだ名ですが、ペトロはどこか頼りない存在でした。
しかし、ペトロが初めてイエスを「キリスト(救い主)」と呼んだことや、彼のイエスに対する忠誠心を踏まえると、イエスはペトロを高く評価していたであろうことが分かります。
そんなペトロはイエスの死後、命をかけて布教活動をしていきます。
シモン
通称、熱心党(ゼロテ)のシモン。
イエスの弟子となる前はテロリスト集団「熱心党」の一員であった。
熱心党とは、次のような組織でした。
- ガリラヤ人ユダ(イエスを裏切るユダとは別人)が紀元6年に起こした反ローマ一揆に発端とされる集団
- 過激なユダヤ民族主義者の集まりだった
- イスラエルをローマ支配から解放するために武力闘争を展開していた
- 洗礼者ヨハネの教団に加わりながら、反ローマ運動としての指導者としての「救い主」を出現を待つ者も多かった
ミュージカルでは「反ローマ運動としての指導者としての救い主を出現を待つ」という視点でシモンを捉えると、物語の展開を追いやすいでしょう。
ユダ
通称、イスカリオテのユダ。
最後の晩餐で、イエスが次のように予言する相手です。
- 1人は私を裏切る
イエスに対する熱が高まれば高まるほど冷めた目でその状況を捉え、説いてきた教えに矛盾を感じればキリストを真っ向から非難するユダは「裏切り者」という印象が強いです。
しかし、イエスをスーパースターと捉えていなかった点や、教えを一番理解していた様子を踏まえると「理解者」でもあったと言えます。
ユダがイエスを理解していたからこそ、ユダにはユダなりの葛藤がありました。
それはイエスの説く「地球上で起こる全ての物事は、全て神によって定められている」という教えに表れています。
この教えは、例えば「イエスが最終的に十字架にかけられることは、彼が産まれた時点からそのように定められていて、抗えるものではない」という考え方を意味します。
これを踏まえると「ユダがイエスを裏切ることも、初めから神によって定められていた」ということになります。
その教えを理解しながら、イエスの居場所(ゲッセマネ/ヘブライ語で「搾油所」の意味)をたった30枚の銀貨で密告し、裏切り者というレッテルを貼られたまま、ユダは自殺してこの世を去ります。
ユダがイエスの居場所を密告した相手は、ユダヤ教の大司祭カヤパです。
ユダはイエスと決別したことを訴え、イエスのユダヤ教への異端的な全ての発言に対し、証人になることと逮捕への協力を約束しました。
ユダのイエスへのキスを合図とし、神殿警備員によって逮捕されますが、ほかの弟子たちは恐怖のあまり逃亡してしまいました。
なお、銀貨30枚とは、奴隷1人の値段と同じであり、決して高い額ではなかったそうです。
ユダはイエスが死刑の宣告を受けた時「我、無罪の血を売れり」と言って、カヤパからもらった銀貨30枚を返そうとします。
理由は、ユダはイエスをカヤパに引き渡すことが条件だと考えており、死刑判決を下されるとは想像もしていなかったからです。
しかし、銀貨の返却をカヤパに断られたユダは、銀貨をカヤパ官邸の庭に投げ捨て、城外で首を吊ります。
マグダラのマリア
12人の弟子以外でイエスにつき従った女性。
詳しいことが分かっておらず、以下のように想像されてきました。
- 姦淫の罪を犯した女性
- イエスがパリサイ派の人の家で食事をしていた時、石膏の香油の壺を持ち、イエスに香油を塗った女性
- 罪深き女性
- 娼婦
また、福音書には次のような説明があるようです。
- イエスが葬られた墓が空だったことを、最初に報告した人
- 復活したイエスに最初に会い、弟子たちに復活を伝えるよう命じられた人
- 弟子たちが怖くなって逃げた後も、十字架の処刑の現場に踏みとどまり、イエスの埋葬に立ち会った人
このようなことから、イエスの身内や、パートナーといった印象を受けることもあります。
なお、「救い主」を意味する「メシヤ」という言葉には「油を注がれた者」という意味もあるため、マグダラのマリアはイエスを熱狂的に支持する群衆の「メシヤ!」という叫び声に応じて、高価な香油をイエスの足に注いだ…と言われているそうです。
カイアファ(カヤパ)
ユダヤ教(ユダヤ教主流派)の大司祭。ローマの庇護のもとエルサレムを牛耳っていた権力者でもあります。
ユダヤ教主流派は、イエスが洗礼者・ヨハネの弟子時代から「危険人物」とみなしていました。
民衆がイエスに熱狂的だったため、暴動を起こすことを恐れていたカイアファは、いつでもイエスを逮捕できるよう、監視するようになります。
しかし、イエスはわざわざエルサレムに出向きます。
自分の身が危ないと知れば逃げるのが常ですが、イエスが逃げることはありませんでした。
何故ならこの時期、すでにイエスは「神の愛」を弟子や群衆に理解してもらうことを諦めていたからです。
毎日神殿で説き続けた「神の愛」の存在を証明するには、死をもって説くしかない…そう考えたイエスは「過越祭」に出向きます。
- 過越祭(すぎこしのまつり)…家畜の無事と繁殖を祈る祭りだったが、旧約聖書のモーゼの故事とかさねられ、ユダヤのメシヤ(救い主)が君臨するという信仰が生まれた。
しかし、カイアファがなかなかイエスを逮捕しなかったため、3日目の水曜日に神殿で商いをする者たちをしかりつけ、鞭で追い払います。
イエスに政権を取られることを恐れていたカイアファの「民衆はイエスを王と呼ぶ」「民衆が選んだ王などローマが許さない」といった台詞は印象的ですが、そのようなことを望んでいないイエスに対する誤解は、ここでも生じていることが分かります。
イエスに対する巡礼客や民衆の支持を無視できなかったため、カヤパと衆議会はなかなかイエス逮捕に踏み切れませんでした。
しかし「最後の晩餐」でのイエス・グループ分裂の知らせを受けたカヤパは、ただちに議員を招集します。
カヤパの提案が緊急会議で可決されると、神殿警備隊は、即、ゲッセマネへと向かいました。
カヤパがイエス逮捕に踏み切った背景には、以下が挙げられます。
- 「イエスは支持者を失ったため、逮捕しても暴動は起こらない」と考えた。
- ユダヤ律法によると、過越祭が本格的に始まってしまえば裁判はできないため、逮捕と裁判は至急決行しなければならない。
ユダヤ全体の治安と衆議会の権力を維持するために、イエスの逮捕に至ります。
ヘロデ
イエスが生まれた地であるガリラヤの王。
ヘロデの父、ヘロデ大王はイエスが産まれた時、占星術の学者たちが「ユダヤ人の王として生まれたイエス」を拝みに来たことを知り、自分の王としての立場に不安を抱きます。
彼はイエスがどこで生まれたか知らなかったため、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男児を皆殺しにすることで、自分の立場を守ろうとしました。
しかしこの時、主のお告げによりイエスの父・ヨセフはマリアとイエスと共にエジプトに避難(エジプトへの逃避)していたため、イエスが危害を加えられることはありませんでした。
なお「エジプトへの逃避」というエピソードは、ミュージカル『ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dame)』の2幕冒頭で登場します。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
ピラト皇帝
ローマから派遣されているユダヤ知事。イエスの処刑の承認を迫られる人物。
処刑の承認に当たり、イエスはピラトとヘロデ(過越祭のためにエルサレムに滞在中であった)の宮廷をたらい回しにされますが、再びピラトのもとに差し出されます。
ことを穏便におさめようとしたピラトは、イエスの特赦を衆議会に提案しますが、宮廷に群衆が押し寄せてきたことで事態は一変してしまいます。
イエスに「政治的リーダー」を求めていた群衆は「神の愛」しか説かないイエスに幻滅しており、現実的リーダーを求めていました。
それの対象となったのが、バラバです。
ミュージカルには登場しませんが、バラバは反ローマの一揆を起こし、逮捕されていた政治犯です。
群衆はイエスと引換えに、バラバの釈放を求めようと、ピラト宮廷までやってきたのです。
ここでピラトとカヤパはこのように考えます。
- ピラト:バラバを支持する愛国者たちがバラバ救出のために暴動を起こせば、自分の知事としての地位が危うくなる
- カヤパ:この事態をまるく収められなければ、自分が率いるユダヤ衆議会もローマに弾圧される
バラバを釈放するほうが得策だと考え直したピラトは、イエス処刑の責任を一切ユダヤ人になすりつけるためにも、処刑方法まで群衆に聞きます。
ピラトが処刑方法を群衆に聞いた理由は、次のように説明されています。
そうすれば、あとになって自分の上司であるシリヤ総督に陰険なユダヤ衆議会が讒訴(ざんそ)することができなくなるからだ。この両者の質問と応答の背後には両者それぞれの思惑がにじみでていて、実に迫力がある。
―『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子
』(p.41)
その結果、群衆が求めたのは十字架刑でした。十字架刑は、ローマの刑罰方法だそうです。
ユダヤ人やその衆議会が宗教的異端者に加える死刑方法は石打ちだったため、イエスに対して十字架刑が求められたことは反ローマ運動の政治犯として抹殺させられたことを意味しているとのこと。
この理由については、次のように説明されています。
大司祭カヤパは計算しておいたのである。政治革命かはやがて人々の記憶から消える。だがイエスのように政治を無視した愛を説いたものは人々の心に語り伝えられるだろう。イエスはユダヤ人の記憶から消さねばならぬ。カヤパはユダヤ教を脅かすものとして、この時、イエスの教えを無視できなくなっていたのである。
―『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子
』(p.42)
そうしてイエスは、刑場「ゴルゴダ(髑髏)の丘」で「ユダヤの王、ナザレのイエス(INRI/”IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM”の略)」という罪標と共に、十字架に掛けられることになります。
(準備中)

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